「伊藤計劃以降」の風呂 ①

(一)はじめに

『ハーモニー』、『虐殺器官』という二つの作品を世に出し、円城塔が引き継いだ『屍者の帝国』が二〇一二年の『このSFが読みたい』のトップを獲得し、幾つかの関連書籍が出始め、ある種日本SFの記念碑的存在になった伊藤計劃が死んで数年後の今、現在。特にSF評論界をにぎわすのがこの話題。

「ぼくたちは【伊藤計劃】という存在を受けて、どう生きるべきか」

評論家、藤田直哉が中心となって、限界研が編集した、『ポストヒューマニティーズ 伊藤計劃以後のSF』(限界研編 南雲堂)や文学フリマで発行された同人誌「genkai vol.03」など、記憶に新しいものが多い。じゃあ、ぼくたちは、この関西の、ちっぽけな私立大学の、たかだか学部生であるぼくは、どう生きるべきか。

そんなことを考えていたら……

ガスが止まった

それはあまりに突然の出来事だった。汗で汚れた体を洗おうと、ガスのボタンを押し、バスルームに入り、赤の蛇口をひねる。だが……流れるのは冷たい水! 止まらない水! 秋の夜長に、全裸を打ち続けるのは、無慈悲な低温の、水! なのであった。なんたる惨い、凄惨な仕打ち! 血も涙もガスも通っていない、悪魔め! この世の醜さを全て集積したような、残酷な仕打ちを、こんな天真爛漫で純真無垢なぼくに向かって……よくも! よくも!そして郵便受けには〇△ガスより「供給停止」の魔の文言が書かれた封筒が一通入っていた。

おのれ、〇△ガス。この恨みはらさでおくべきか。

この時ぼくは、硬くそう誓ったのだ。(この日の屈辱はきっと忘れない。)

しかし、そもそもガスの料金を払うお金がなかったせいでこの状況に追い込まれたことに暫くして気づく。果、どうしたものか……

そこで思いついたのだ。
そうだ、ポストヒューマニズム的、「伊藤計劃以後」の風呂、つまり銭湯に行くことにすればいいんだ!と。ぼくたちは、「伊藤計劃以後のガスが止まった世代」として、銭湯と共に生きるべきなのだ、と。

そこでここに文章として纏めることにした。つまりこの、のっぴきならない文章は、「伊藤計劃以後のガスの止まった世代」及びその素質を十分に孕んだ、有望な君たち読者諸君に捧ぐものである。

この文章が、重くのしかかる辛い日常において、反逆と反骨の精神を持って強くある助けとなれば幸いだと、ぼくは考えるのだ。


Photo © https://tvhustler.net/itokeikaku/

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