「伊藤計劃以降」の風呂 ②

(2)一週目 ―湯船との調和(ハーモニー)

さて、ここで幾つか、考えることがある。まず、《「伊藤計劃以後」って何ぞや》ということである。それは単純にぼくの家のガスが止まっていることを指すだけではない、今、なんとなく言われているある一つの現象のことである。

伊藤計劃の二つの作品、『ハーモニー』『虐殺器官』は、ライトノベルやゲームを踏襲、パロディしながらも、現代のSF命題、「ポストヒューマン」(ディストピアやサイバーが発展した先に人間が″どうなっているか″)をしっかりと、「ネット世代」であるぼくたちの感覚に合わせて描いた。それがSF界は勿論、「普段SFを読まない層」にまでウけた。フィリップ・K・ディック特別賞という海外のSF賞を受賞、国内では「大学生読書人大賞」を受賞。同時期に出た円城塔と共に、一つの世代を築いた。『虐殺器官』の宣伝に、「ゼロ年代最高のフィクション」とまで言われたのだ。

そして、死んだ。
病気で、あっけなく。

「伊藤計劃」という作家は、享三十一歳という若さで亡くなってしまったのだ。

最初は早川書房が出した広告文だった。「ポスト伊藤計劃」「伊藤計劃以後」という言葉。だが、野崎まど『know』や宮内悠介『ヨハネスブルクの天使たち』、八杉将司『光を忘れた世界で』、またベテランの神林長平ですら『いま集合的無意識を、』など、「伊藤計劃を意識して書かれたとも読める」作品群が、彼の死後、登場した。

Project itoは今も、確かに存在している。
どう意識されているのかは、今は手さぐりではあるけれども、「伊藤計劃」という存在を受けて、では次は? という認識の波は確かに今の読書界隈では存在しているのである。では、いまここにいるぼくにとってあてはめて考えてみるとどうなる?

水風呂の屈辱から一日半、丁度文芸サークルにも入っているのだし、良い機会だ、ということで、ぼくは一つの結論に辿り着いた。

「ガス会社という、『ハーモニー』で言うところの「生府」に頼るのはやめよう。ガス代を払わず、霧彗トァンのように、反骨の精神を持って生きよう」

かたく、そう誓った。お金がないからガス代が払えない、という状況がここに於いて、「一回四一〇円を払って、あえて銭湯に行く」という反骨的命題に、まさに「伊藤計劃以後のガスが止まった世代」に昇華したのであった。

流石、project itoというところである。


船岡温泉

【船岡温泉】
京都市北区紫野南舟岡町82‐1
http://funaokaonsen.net/

「京都の銭湯」という命題において、一二を争う知名度を誇るこの風呂屋。まずぼくはここに来た。
建物は唐風で、創業当初、料理旅館だったらしく、今もその姿を保っている。その風格は、国の登録有形文化財になっているほどである。庭もとても綺麗である。

中の脱衣所には、天狗や牛若丸の彫刻があしらわれた木造の大きな天井がある。ぼくの気分はウハウハ。脱ぐ! 掛け湯! 身体を洗って! 湯船に浸かる!近代チックな見た目ではあるが、管理、清掃は行き届いており、とても綺麗で清潔感が溢れている。
風呂の種類も、電気風呂、浅風呂、深風呂と様々あるけど……なんといってもまず、「檜風呂」! これが特徴的。大きな四角形のこの風呂、他の銭湯で、家で、他人に借りる風呂で浸かることが出来ようか!?
流石、元料理旅館。

そして、京都市内でも唯一の規模を誇る、露天風呂。男湯と女湯で風呂の種類が違い、一日ごとに交代していて、この日の露天は「岩場の露天風呂」(もう片方は檜の露天風呂)。全体的に湯の温度が低めで、けれども風呂の種類がいっぱいある分、長く楽しむことが出来る。広く、清潔で、しかもどこか趣のある装丁と風呂の数々。汗を流した後、露天に、檜に、浸かってやんわり癒されるこの感覚。意識が消失しそうであった。いや、実際、「ガス代を払って家の風呂に入る」という意識は湯船に入っていた間は消滅していた。

感覚は、意識は、不要になったのだ。

まさに銭湯との調和(ハーモニー)。

京都の銭湯を語る際には外せないこの風呂屋、「伊藤計劃以後の風呂」を語る上でも重要な「ターニングポイント」になっているのである。勿論、一週目はここに通い詰めたのは言うまでもない。

あな、おそろしや。

Photo © http://funaokaonsen.net/


京極湯

【京極湯】】
京都市上京区土屋町一条下ル東西俵屋町666
http://www.kyo1010.com/kyogoku-yu02/

とはいえ、観光客ウケの良い、華麗で有名なところに一つ通い詰めれば常に「意識」は消滅するか、というとそうではない。いつか飽きが来るし、そうなれば、あの、忌むべき〇△ガス(生府)に媚びなければならない。「伊藤計劃以降のガスが止まった世代の風呂」は常に流動し、変化を繰り返しながらも、銭湯と共に生きる存在でなければならないのだ。

だが、ここで問題になってくるのは「《伊藤計劃以後の風呂》についての考え方」である。そもそも、伊藤計劃、以前。ぼくたちにとって、風呂の考え方はどうであった? 「家の風呂こそ至高」という考えではなかったか? それもほぼ無意識の。

捻れば直ぐ出るお湯、溜まりやすい湯船、使いやすいシャワー。だが、「伊藤計劃」の登場以後、状況は変わってしまった。

「使ったガス代は払わねばならない」という意識の想起。「給湯機は《ガスが止まりました》と言い続ける」、まるでwatch meのような周辺状況。そして何より、「ハーモニー」させてくれる、あの銭湯の愉楽。ぼくたちは「風呂に入ること」を意識せざるを得なくなってしまったのだ。そこで、銭湯に行く際、幾つか気を付けなければならないことが出てくる。それが「伊藤計劃以後の風呂の入り方」。単に今まで言われていた「銭湯マナー」を守るだけでは闘っていけない。

まず、場所の選定。どこに住んでいるか、どんな場所にあるか、喫煙者なら喫煙の有無、定休日、時間……そしてそんな概要に留まらず、周辺の雰囲気、建物の外観、気分、ノリ、金銭状況、今後の予定……まさに「せめぎ合い」。闘い。これはもはや戦闘でもあるのだ。そういうことで、京極湯。西陣京極という、千本中立売り通りから一条通にかけてある、小さな、昭和感ただようスナック街。ここにあるこの銭湯は、まさに「マスト・バス」という感じ。

ここには船岡温泉のような「集客力のある何か」は存在しない。だが、ここには昭和っぽい映画のポスターが玄関にある。その先にある脱衣所にはアナログ体重計と坐って乾かすタイプの古いドライヤーがある。簡単に言うと、「良い雰囲気」なのだ。それはこの土地、場所、時間、道具、様々なものが総合的に折り重なって感じる、調和じゃない、一人だけの感覚。そして、「伊藤計劃以後の風呂」は雰囲気を「感じる」ことに重点がある。

露天風呂も、広いジェットスパもないけれども、御冷ミァハも(多分)言ってた。

「銭湯最高」って。

……まあ、それはさておき、実際、この場所の風景と、湯上り後、窓辺に座ってゆっくりする快感は、何事にも変えがたいものだと、ぼくは思うのである。こういった「意識」した楽しみ方、というのは、『ハーモニー』が意識とは何か? という命題をぼくたちにぶん投げたからにほかならない。

何が「ユートピア」なのか。それは「風呂」というテーマから、見つかっていくような気がするのだ。

Photo © http://www.kyo1010.com/kyogoku-yu02/


Photo © https://tvhustler.net/itokeikaku/

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