現代をサバイブする人々~半自給農民という生き方~
ばたおさんを取材してみた 第三回 ばたお氏の来し方行く末

第三回 ばたお氏の来し方行く末

ーーそもそも、そういった活動をしようと考えるに至った契機は何でしょうか。

学生時代はあまりそういうことは考えていなくて、大学卒業後は普通に就職して働いていました。ぼくはもともと色々な社会運動に関わっていて、自分から何かやるということはあまりないにせよちょくちょく顔を出す程度のことは続けていたんですが、ただそれだけになっていて。
3年くらいサラリーパーソンやってから2010年の終わり頃に退職しました。そっから一年間くらい何もしていなかったんですけど。
その間に、今いっしょにシェアハウスに住んでいるだめおさん(http://hnhk.blog.so-net.ne.jp/)に会って。で、彼からある人のブログを紹介されて。その人は山奥に10万円で土地を買って、そこで自分で小屋をたてて暮らしていて…今はあまり暮らしていないみたいですけど、昔は暮らしていたんですね。たぶん月2,3万しか使わずに生きているっていう。いやー、こんな風に生きられるんや、と思って。もっともぼくにはそこまでするのは厳しいと思ったんですけど、もっとユルい形でなら自分にも出来るやろうし、ぼくに出来るということは誰にでもできるんじゃないかと思って、ひとつはそれに着想を得て。ただ、半年間くらいはずっと悩んでいて。
だめおさんに会ったのが社民党の2011年の統一地方選挙の選対で、久しぶりに再会したんですね。それが2011年の3月か4月か…4月1日の選挙やったかな。だめおさんもずっと働いていたんですけど、同じタイミングくらいで辞めていて、暇やから社民党の選対をやっていたんです。で、いっしょに田舎に移住しようって言われて。めちゃめちゃ田舎に、いっそ無人島とか。無人島っていっぱいあるんで。でも、山奥とかめちゃくちゃ人知れない田舎とか無人島とか、やっぱりハードル高かったんですよ。ただ就職活動もう一回するのも嫌やな~、と思って悩んでいたんですね。
ちょうどそんな時に河内長野で空き家を手に入れられるっていう話が出てきて。はじめは家の中が土だらけだったから大掃除して。そこまでボロくはないんですけど、まあ使ってなくて汚かったんですね。廃屋とかではなくて、10年か20年か使ってない普通の家ですけど。で、そこに小さい庭があるんで家庭菜園をしようということになったんです。まあ、ぼくもだめおさんも全然家庭菜園の経験とかなかったんで、まずは庭レベルからやって。どれくらいできんのか、でけへんのかっていうのも一回やってみて、そっからどうすんのか決めよう。やめるならやめる、河内長野に住み続けるなら住み続けるし、やっぱり本格的に田舎に移住するなら移住するで、とりあえずやってみようと。だから今は“とりあえず期間”なんですけど。ただ、その期間を具体的に定めていなかったからまだどうしようかなあと悩んでいて。もう5年経っているんですよ(笑) だから今、岐路に立ってるんですけど。


ーーでもスタートの時点でベースがあるのはかなり有利ですよね。

ただ、一番デカいのが固定資産税と都市計画税がかかっているのでタダじゃないってことですね。
さっきも言ったけど(編集注:第一回を参照)、何かあった時の避難場所として三重にも固定資産税かからんように150坪の土地を買っているんです。何かあったときはもうそこに完全に移住して、はじめはテントに住んで、小屋立てて、井戸とか掘って、勝手に住もうと思っていたんですけど、ただ今は河内長野の家があるので、とりあえず。
今やっているみたいなナンチャッテ自給じゃなくて、本格的な自給自足のための土地探しをずっとしていたんですよ。ただ、今って田舎の土地買うブームなんですね。2010年くらいから、だめおさんが土地探しをしていた頃にかけて土地ってどんどん売れてるみたいで。ぼくらも150坪の土地を100万円くらいで買ったんですけど、正直100万って一般的な退職者世代からしたら端金も端金ですよね。100万なんてポンと出せる。とりわけ3.11以降、田舎に安全な土地があったほうがいいんじゃないかと考えた退職者世代が保険としてとりあえず土地を買っておく流れが加速したみたいで、どんどん売れはじめて、ぼくらもちょっとヤバいな、悠長に探していられないなって思って。本当はもっと暖かいところがよかったんです。三重って基本的にここ(大阪)より標高が高いから、寒いんですよ。もっと暖かいところで同じ広さだったら倍くらいの値段はすると思います。河内長野の近くなら和歌山とかいいなと思ってたんですけど、やっぱり暖かいところのほうが高くて寒いところのほうが安い。やっぱり需要と供給の関係で。で、もっと暖かいところで狭いところにするか、三重みたいに寒いけど150坪くらい確保するか、それか別に予算をもっと出すかで悩んで。当初、二人で200万の予算だったんですけど。


ーーけっこう予算あったんですね。

ぼくは3年くらい働いていて、だめおさんは4年くらい公務員やってて、しかも二人ともお金遣わん人やったんで、普通に貯金があったんです。それも大きなアドバンテージになっていたんですね。
で、結局100万円くらいに落ち着いて150坪くらいの土地を買ったんです。はじめて土地買うんやし危険やなと思ったんで、とりあえず100万円にしといて、失敗したら他のところまた買おうってことになって。そこの土地が成功か失敗かは微妙なラインなんですけど、とりあえず買ったしもういいかなって思っています。


ーーそれで現在に至ると。その現在ですが、賃労働と家庭菜園以外にはどのような活動をされていますか。

特にこの辺では「なくせ原発!河内長野デモ」という運動に参加しています。日本共産党や全交という運動体、福島からの避難者やそれ以外の方たちが個人として集まっている実行委員会を一緒にやらせてもらっています。3ヶ月に一回脱原発を訴えるデモをしています。
他はちょくちょくですけど、学習会を企画してシェアハウスで呼びかけたり、あとはぼくらの活動に賛同してくれる人とちょっと楽しい出会いの場を設けたりしているくらいですね。


ーー今そういう活動に関心をもつ人増えているみたいですね。連帯も重要だなと思います。

自給自足とかシェアハウスをひとつの拠点というか対抗陣地にして相互扶助のネットワークを作っていかないとだめなんですよね。だからそういった話し合いの場を作っているわけなんですけど、なかなか思ったようにネットワークづくりができていませんね。やっぱり距離的に近くて同じような考え方の人って人数が限られてくるんですよ。ぼくら、二人でやっているから一人でやるよりはだいぶ楽なんですけど、それが三人になったらもっと色々なことができるし、セーフティネットにもなるんでいいなと思っているんですけど、なかなかできていないですね。


ーー人と会うだけで交通費がかかったり…

結局、物理的に近い範囲で生活していないと。ネットワークづくりをやるだけなら、いまどきインターネットがあるから距離とか関係ないんですけど。まあ、それで出来ることはそれで出来ることなので全然いいと思うんですけど、実際に協力することになったら最低でも30分以内くらいに会えるような距離じゃないとなかなか厳しいのかなっていう。最低でも全国に同じような志向性を持った人と…全国的な広がりやから完全なる相互扶助は無理としても、連絡会みたいなネットワーク作りみたいのは頑張ればできることなので、それくらいからまずは始めたほうがいいのかなってちょっと今取材を受けて思いました。そういうネットワークの中で近場の人と連帯していくというか、そっちから始めるべきなのかなっていう。実際に何人かぼくらみたいな自給を糧に低消費生活するっていう人と何人かネットで知り合って、岐阜とか行ったこともあるので。最近仲間集めとかしようって意識が遠のいていたから、やらなあかんなと思います。
例えば大阪大学のある石橋や中津の界隈で色々やっている方たちもいて、そういう人らと薄い面識はあるので繋がりを作っていかなあかんと思っているんですけど。今日はちょっとぼくのシェアハウスに案内はできませんでしたが、話聞きたいって人はちょくちょく定期的に来るので。取材みたいな形は今回がはじめてでしたけど。最近はそういう人たちを見てやっぱりショボい起業みたいなんでもやったほうがいいのかなっていう気がしてきました。昔はやる気なかったんですけど、ちょっと変わってきて。ショボい農業とショボい賃労働とショボい起業を色々組み合わせてなるべく生きる手段を分散化しようっていう。今は全然なんもやっていないんですけど、いつか枠をひとつ広げようかなと思っています。


次回が最終回である。テーマはばたお氏の活動の社会運動としての側面について。とりわけ重要な知見が入った回になるのでここまで連載を読んできた奇特な向き向学心ある読者諸賢は刮目すべし。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です