不思議な学校
敗戦という初めての経験をしたことで学校も生徒も迷ったが、行政に当たる当局と現場の学校の敗戦処理は為すべきことも為せなかった。第二新潟工業学校の修了証書も発行されていないし、新潟商業高校への転校の許可申請書も許可証も出されていない。書類手続きが全く行われず、曖昧なまま新潟商業学校の組織に入れられてしまったのは驚くばかりだ。それほど敗戦に対する正規の事務処理が行われなかったのだろう。教育行政機関も学校も、進駐軍に見つかったら大変だ、処罰されないようにと、種々の書類の隠滅を図ったのではないかと想像される。既に敗戦から70年近く経ているが、公文書的なものは何もないように想像できる。よく終戦のドサクサまぎれというが、それで良かったのだろうか。私らが第二新潟工業学校に在籍したことを証明できる文書はたぶん各自が渡されている成績通知書だけであろう。これら一連の転校、編入等の組織変更の過程で正式書類がなく行われたのは驚異である。戦時下の体制そしてそれ以前の国政主義は戦後憲法の下の民主主義とは180度異なる。現在の物差しで当時を計ることは不可能である。ただ、当時存在していたものを否定し、あったものを無かったということは不正である。存在していたものを実在していたと正々堂々認めるべきなのだ。さにあらずんば、まさに新潟県立第二新潟工業学校は「まぼろし」の軍幹部養成学校であり陸軍が解体してしまって何の証拠もなくなり、このような措置で生徒も進駐軍に追われたり、狙われたりすることは回避できるだろう、という学校側の生徒の安全を考慮した已むにやまれぬ措置であったのかと思えば、不様な学校解散の方法は許されるのかも知れない。しかし、三つ子の魂百まで、とは云わぬが、我々の脳裡の奥深く、故国のためにと深く刻みつけた「まぼろしの軍幹部養成学校」での授業や訓練の成果はこれらを大切な宝として、世のため、人のために役立てようと願っている。友の多くもそう思っていると信じている。国語の担任新山先生は「俺は教師としていま戦争直後の教壇に立って君たちに[今まで当校で学び、そして受けた訓練の事を忘れることなく日本の復興と発展のために全力を尽くして役立ててほしい]こう皆に伝えることが出来て実に幸せだと思う」と、この国学院大学出身の先生が云われた最後の言葉を私らは決して忘れることが出来ない。
二つの母校
二年間学び鍛えられた幻の第二新潟工業学校および戦後元の名前に復帰した新潟商業学校そして、再び学制改革によって名称が代わった新潟商業高等学校は、われわれ多くの生徒が卒業した学校である。いずれも尋常でない道を辿った母校である。時代に翻弄されたという表現は苦労の中を切り抜けてきた私らにはふさわしくない。素晴らしい教育訓練を経験し、優秀な級友を持つことが出来たのは何物にも代えがたい幸せである。
はしがき ‐ 以上
アメリカの似た様な学校
わたしの友人の子息たちだがアメリカで似たような学校へ入った少年たちがいる。ハーンさんの息子、ミラーさんの一人息子、そして私自身の教え子〈日本人〉の3名である。ハーンさんの息子さんはもう将校になっている筈だ。ミラーさんの息子のアンデイ君はいま米空軍のパイロットである。ハーンJr. は奨学金も受けられると喜んでいた。アンデイ君は空軍に入ることが強い希望で、奨学金も受けていた。高校の時に単独飛行を行い両親たちも喜んでいた。高卒ですぐ空軍入り。私の教え子は、中三まで私から英語を習い、高校はアメリカであった。自分で高校案内や軍の予備校を探し、ある軍予備校に入ったが自分に合わないと一年で転校し、理科系の名門大学を卒業した。アメリカの斯様軍の予備校的学校には軍事教官が存在するが皆予備役である。第二新潟工業学校の様に軍が派遣している現役将校ではない。アメリカではこのような学校を Cadet School (カデット・スクール[士官候補生学校])と称している。私立でも将来軍の幹部になる人物の養成校だから人選は厳しいらしい。
☆アメリカのことに触れたついでに注釈を一つ加えます: 冒頭に記した Fact Sheet というのは、同国で公文書などに良くつける表現で日本語でいえば「真相はこうだ」とか「真相レポート」の様な表現に使います。
2014・7・20
〈平成26年7月20日〉
著作権所有者:© Chiaki Watanabe 2014
以上で、祖父が残した文章は終わりです。私はこの文章を読んで、「誇り」を感じました。別に戦争を賛美するわけではありませんが、「あの戦争は最低だったのだ」と、銃を持ったこともない、戦争を経験したわけでもない、そういう人々が好き勝手に過去を否定して、故人のプライドや楽しかった思い出までも葬ろうとするのは、如何なものか。戦争と平和というあまりにも壮大なテーマを、簡単に考えすぎるのはよくないのではないか。日本の平和教育も同様、子どもに簡単な答え(価値観)を植えつけるのはどうなのか。この文章の公開が、皆さんが「何か(戦争に限ったことではなく)」について考えるきっかけになれば幸いですし、きっと祖父も喜ぶと思います。