迷探偵ニシムーの「お金の正体を暴け!」

お金である。

なんだかんだ言って世の中は「お金」である。
そんな言説は多いし、ボク自身それを否定しきれないところがある。
「お金が全てだ!」という言説に浅はかさを感じてしまうこともあるが、一周回って「お金」というものはいろんなものの尺度になるし、社会を読み解くためにはお金の本質を理解しなければならない。お金についての詳細な仕組みを理解するには、やはりマルクスの資本論を読むのが一番手っ取り早いのだが、ボクはそんな高尚な本を読み込む根性も集中力もないのだ。そんなボクが今回はお金に対して真剣に考え、記事にしてみました。
まずお金というものを簡単に説明すると「価値の尺度」である。「価値」というと「どのぐらい大切か」「どのぐらい役に立つか」というものだが、お金そのものは紙幣なら紙であるし、硬貨なら銅であったり、銀であったりする。それ自体に価値があるのではなく、そこに人の感情を付加することによって価値が生まれるのである。
要するにお金というのは感情を数値で表現する一種のツールとしてあり、変な話、それは芸術作品という言い方ができるかもしれない。ボクらはお金と商品を交換しているが、商品に払うというよりも自分の感情や物欲を数値化して相手に表現することによって交換できるようになっている。商品そのものではなく、商品に対する自分の欲望によって価値が決まっていくのである。評価経済の本質はそういうことだろう。芸術や表現そのものが状態を表しているとするならば、ある状態が変化することによって人は表現を可能にしているけど、感情や表現を形として、そのまま保存でき、所有可能になったとき、それは貨幣になってしまうのだと思う。
ボクとしては表現空間としての現実が資本主義であると捉えており、この話は仏教における空観・中観・仮観の話と通ずるところがあると思う。

  • 空観は世界を空と捉えること
  • 中観は価値そのものを捉えること
  • 仮観は物事に役割や機能を与えて捉えること

である。

ここで中観をボクなりの言葉にするなら芸術作品や物の状態を観察し、資本主義的な現実を受け入れていく態度だと思う。

おっと、話が逸れそうになったので一回まとめよう。
とにかくお金を払うというのは欲望を数値化し、紙幣や硬貨にそれを付加して、みんなの共通の認識にしたものである。
お金の話をするとき、ボクとして重要なポイントは「金本位制」の話だと思っている。特にお金というのは物質的にはただの紙っぺらであり、お金には絶対的な価値はないという認識を持つことは非常に重要なポイントである。
金本位制とは金を通貨価値の基準にすることである。しかし、現代では金の保有量とは無関係に通貨を発行できるようになり、通貨の価値の根拠はみんなの信用だけになっている状態なのである。通過を金本位から信用通貨にした段階でお金というものは絶対的なものではなく、商品と自分の物欲の関係という相対的なものであり、それがお金の正体と言ってもいいだろう。しかし、みんなの意識としてはお金というのは欲しい物を手に入れる便利なツールであり、「お金の価値は絶対」と思い込むようになってしまっている。
人々はお金に執着してしまいがちだが、それは根源的に飢餓への恐怖を植え付けられているからであり、禁欲の正体は飢餓への恐怖だったりする。飢餓への恐怖が無くなれば本来ならばお金に執着する必要はない。地球上のすべての人類を賄うだけの必要カロリーを生産できるようになっているのなら、飢餓への恐怖は克服できるはずである。食料が余ってて捨てているところもあるぐらいなので、後は分配の問題になってくるのだろう。
お金よりも限られた時間を割いて行っている労働の方が貴重なものであり、価値の源泉となる。バーチャルバリューの下で働いている現代社会では労働は好きなだけお金を生み出すことができ、自分の労働の対価を自分で決めればいい、労働とお金の関係についての大前提の価値の基準になるのは個人の労働そのものであり、お金は相対的な価値でしかない。
お金とは紙幣やコインのことではなく、マネーサプライのことで、マネーサプライは国や法人が個人にした借金の合計金額のこと。1万円札は「国が個人から1万円分の価値を借りている」という証明で、通貨とは国に対する債権の証拠である。つまり、国が1万円札を発行するということは、国が国民から1万円分の価値を借りているのと同じこと。通貨を発行するということは借金をすることなのである。

物々交換が主流だった大昔では、肉が食べたいとき、魚が欲しがっていてついでに肉をあげても良いという人を見つけなければならなかったから非常にこれは効率が悪いのである。
きちんとした資料に基づいていないのですが、お金という概念の誕生を想像してみると、ある日、魚が取れなかった人と肉が沢山取れた人が居て、その日だけでも飢えをしのがないといけないので、いつかただで魚をあげるという約束として、何かを持たせてそれを目印にして借金をしていたと捉えられる。その後は借金の押し付け合いである。中国では物と物をつなぐ「仲立ち物」として珍しい貝が選ばれていたそうだ。その後、金や銀や銅などが登場し、お金になったのではないか。お金は社会が自分にしてきた借金というか借りという例えで考えると自分がいかに働きすぎているかという目安としても見れるかもしれない。つまり正当な手段で手に入れたお金は社会に貢献した恩恵なので使わないと損なのである。
聞いた話によれば昔はお金を政府のところに持っていくと金であったり価値の根拠になるものと交換できていたらしい。金本位制ではなくなった現代ではお金というのは単なる情報的な存在であり、お金の価値が下がったり上ったりしているのではなく、商品の価値が上ったり下がったりしているわけで、お金の価値は絶対ではない。お化けのような怖いものとしてあるのだ。

あーお金怖い。でもある程度はあった方が個人的には安心する。そんな不思議なものとしてお金があるのだ。


参考図書
『知らないと損する池上彰のお金の学校』池上彰
『年収が10倍アップする超金持ち脳のつくり方』苫米地英人

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